統一教会、統一原理について


統一教会や統一原理について自由に語り合う掲示板です。
食口さんも、そうでない方も歓迎します。

神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/08/29 (Mon) 16:45:16

統一教会の信者は統一原理が素晴らしいものだと言います。

近代以降、神を信じない人は増えています。科学が目覚ましい発展を遂げる一方、神はその存在すら証明できないのですから当たり前です。
神の存在を前提とした統一原理では、神を信じない人々には説得力がありません。神の存在を前提としない統一原理であれば、それはより多くの人々に受け入れられることができます。

神の存在を前提としなくとも、統一原理は成立するのか?
統一原理に初期仏教をアレンジすることはできるのか?
そのあたりについて、自由に語り合うスレッドです。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - サライ

2011/08/30 (Tue) 16:49:17

>神の存在を前提としなくとも、統一原理は成立するのか?

アプローチ、導入の段階においては教会でもいろいろ考えられてきました。

その代表が、「家系図」トーク、霊感商法です

日本人は特に創造主は分からなくとも先祖については理解します。

そして、原理の法則を家系の法則に当てはめたのが、家系図トークと言うものです。

これだと、魔、人間の堕落性、蕩減、家庭の愛の理想など明確に示すことができます。

80歳のおばあさんだって分かります。

「家系図」トークは、とても原理的内容であり、単に脅しや、恐怖心を与えるということを除けば、神が分からない人に、霊的力や神の愛が「本人自身」に及んでいることを実感させることができる極めて有効な原理アレンジだったんです。
霊現象もバンバン起こります。(演出ではなく、スタッフが驚くようなこと)

これはキリスト教の基盤のない日本人にとって考え抜かれた原理アレンジです。あまりにもうまく行き過ぎたので、狂ったんでしょうね。

しかし最終的には、神と我の関係が確立していかなければなりませんので、その段階になると分からない人が多くなり問題が起こるのです。因縁清算、ご利益という次元で終わってしまい、世界、人類のための奉仕と犠牲という基準にはなかなかいけないのです。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/08/30 (Tue) 18:47:14

家系図トークの目的は万物復帰だと思っていましたが、統一原理を教えるのが目的だったのですか?


あまりにもうまく行きすぎたというのは、統一原理の宣教ではなく、万物復帰のことですよね?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - サライ

2011/08/31 (Wed) 07:51:25

>家系図トークの目的は万物復帰だと思っていましたが、統一原理を教えるのが目的だったのですか?

これは、教会員の中でも意見が分かれるだろうと思います。
家系図トークが出てくるまでの過程は私が入教する前のことですので良く分かりません。

しかし、スタッフは原理を皆知っているのですから、家系図トークをした後に基本的な原理教育と信仰教育は必要だと思っていたはずです。事実、万物を捧げた後そういう教育カリキュラムが組まれていたのですから。

ですから、統一原理を教えるのが目的であったことは間違いないし、原理的観点からすれば、み言の基台がないので万物条件を通してサタン分立の条件を本人に立てさせると言うのが本来的用い方であったはずです。


>あまりにもうまく行きすぎたというのは、統一原理の宣教ではなく、万物復帰のことですよね?


両方だと思います。
実際に「家系図トーク」から十万・百万とういう献金をしなくても、りっぱな食口になった人がわたしの周りにもいます。


ただ、最初に捧げる献金がだんだん額が拡大していったし
万民救済と言いながら、金のある人にしか全力投入しなくなったと言うのがあります。

逆に言えば育てる側の人間が少なかったし、そういう基準まで育てることができなかったと言うのが内部事情です。


もっといえば
創造・堕落・復帰というそれぞれの時節の「神の心情」に至る事ができなかったと言うことだろうと私は思っています。





Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/08/31 (Wed) 18:45:31

>最終的には、神と我の関係が確立していかなければなりませんので、その段階になると分からない人が多くなり問題が起こるのです。

入口は家系図トークでも、結局は神の存在を前提としなければ統一原理を教えることはできないということですね。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - サライ

2011/09/01 (Thu) 04:51:00

>入口は家系図トークでも、結局は神の存在を前提としなければ統一原理を教えることはできないということですね。

私はそう思います。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK URL

2011/09/01 (Thu) 13:04:20

エイドリアンさん
掲示板開設お祝い致します(^-^)p

「統一原理」を原理講論や聖書の内容をまるまる含んだ全体として考えると、確かに神の存在を前提とすることなしにはアダムやエバや天使という話も出て来得ませんから、神の存在抜きに統一原理を教えるというのは無理でしょう。

一方で、(論点としては少しずれてしまうかもしれないですが)理論としての「統一原理」ではなく、私たちがどのように生きるべきかという「人生指針」としての原理においては神の存在云々に関わらず論じることはできるのではないかと思います。聖書物語を実話と考えるか喩え話として捉えるかは受け手に委ねれば良いことです。死後の世界があるのかどうかも、受け手が感じ、判断することです。その上で、神=天命=天運という観点において捉えるならば、神を殊更に否定する必要性もないのではないかと思うのですが如何でしょうか。

その神はあなたの勝手な神であって本当の神さまは違うんだと言う人はいるでしょうが、それはそれで、主張をすることは自由ですから言わせておけば良いのであって、「私にとっての神」を模索する経験は誰にとっても有益なことだと思うのです。

自分の意思に反して命令し、禁止や拘束をしてくる神は要らないですが、思考の次元を高め、視野を広げてくれる相談相手としての神は居ても困ることはないのではないかとも思うのです。


別の見方をすれば、神が居るか居ないかについては結論など出ないですが、「もし居るとすればどのような神か」については個々人が必ず結論を出せます。

無神論というのも、結局のところその中の一バリエーションと位置づけることができるのではないでしょうか。つまり、創るだけ創ってその後一切関与しない、捨て子をした神様というのが、無神論に通じます。
それならば、いてもいなくても関係ない、あるいはむしろ居ない方が気持ちがすっきりするという存在になります。

その根源的な問いを踏まえたうえで、現に生きている「自分」という人間が如何に生きていくかということについて思索を深めていけば良いのではないでしょうか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/01 (Thu) 18:43:53

>エイドリアンさん
>掲示板開設お祝い致します(^-^)p

ありがとうございます。


>理論としての「統一原理」ではなく、私たちがどのように生きるべきかという「人生指針」としての原理においては神の存在云々に関わらず論じることはできるのではないかと思います。

そうですよね。

ズバリ、ENOCKさんは人はどのように生きるべきだと考えますか?


>神=天命=天運という観点において捉えるならば、神を殊更に否定する必要性もないのではないかと思うのですが如何でしょうか。

これまで何度も説明しましたように、私は神を殊更に否定しているのではありません。不可知論です。
物理法則が神であるとか、宇宙そのものが神であると言うならば、それは単に名前を置き換えただけに過ぎず、汎神論や無神論と変わらないと思います。
問題は、人格や意思を持った神(人格神)が存在するかどうかです。
人格神は存在の証拠がないので、火星人やネッシーほどの信憑性しかないということです。


>「もし居るとすればどのような神か」については個々人が必ず結論を出せます。

>無神論というのも、結局のところその中の一バリエーションと位置づけることができるのではないでしょうか。つまり、創るだけ創ってその後一切関与しない、捨て子をした神様というのが、無神論に通じます。
>それならば、いてもいなくても関係ない、あるいはむしろ居ない方が気持ちがすっきりするという存在になります。

もし神が居るとすれば、宇宙を創るだけ創ってその後一切関与しない神ということになると思います。理神論です。
だからいてもいなくても関係ないですし、存在を仮定しない方がすっきりします。オッカムの剃刀です。


>思考の次元を高め、視野を広げてくれる相談相手としての神は居ても困ることはないのではないかとも思うのです。

祈って潜在意識から着想を得たり、行動して経験から学んだりすることは、神がいなくてもできますよね。

ENOCKさんは、神とどのように相談して、思考の次元を高め、視野を広げているのでしょうか?


人格神の存在は証拠がないので、それを前提とした教えは現代の多くの人にとっては信憑性がないわけですが、
ENOCKさんのいう「本来の統一原理」は、人格神の存在が前提として必要ですか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK URL

2011/09/02 (Fri) 01:33:10

>祈って潜在意識から着想を得たり、行動して経験から学んだりすることは、神がいなくてもできますよね。

そうですね。私の場合は心を研ぎ澄まして神さまに語りかけると、直接心に訴えかけてくるのを感じたり、ふと目にとまったものがヒントになっていたり、必要な出会いが与えられたりということがあるので、
そのような神さまとの交流(と私が思っていること)を称して「祈る」と言っているような感じです。

実際にはそのような思考や行動を通して私自身の潜在意識が答えを見つけてくれているのかもしれませんが、それでも、さすがに「出会い」については潜在意識ではどうにも説明がつかないので、何かしらの「力」を感じています。むろん、それもまた「偶然」と片付けてしまえばそれまでではありますが。


>ズバリ、ENOCKさんは人はどのように生きるべきだと考えますか?

私は、愛されて生き、感謝することを知り、人を愛することを知り、恩に報いる人生を送るべきだと考えます。


私にとってはつまるところ、
生きる価値がないと思っている人が生きがいを見つけられ、愛される資格がないと思っている人が愛に満たされ、人から裏切られ人を信じられない人が人を信頼することができるようになるならば神でも医学でも科学でも何でも良いという思いがあります。

そんな中で、今のところ、何だかんだいって結局「神さま」が一番効果的なのではないかと感じているに過ぎません。

>人格神の存在は証明がないので、それを前提とした教えは現代の多くの人にとっては信憑性がありません。

エイドリアンさんはそう仰いますが、人は必ずしも理性的ではなく、むしろ感情によって行動が規定されることも多いということを考えあわせたときに、証明がなされないからといって神を否定するよりも、人間が本当に幸せになれる「神さま」のストーリーを敢えて創ってあげることが、多くの一般人にとっては必要なのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

言い換えれば、「私にとって」ではなく、教養ある知識人にとってでもなく、如何なる人にとっても無害でかつ有益な神さまのストーリーが創れないかという壮大な試みでもありますが、それこそが逆説的ではありますが、神の存在を前提としない統一原理につながっていくと思うのです。

創り話だと思う人は創り話として理解すれば良く、本当の話だと思う人は本当の話だと思って良いのです。ただ、どちらに解釈したとしても、悪いことにはならない、そんな「ストーリー」を人間は根底において必要としているのではないでしょうか。

誰もがエイドリアンさんのように、神ぬきにでも強く、正しく生きられるならばそれこそ神など必要ないのです。でも、現実の人間は決して必ずしも強くはない。それをどうするか。

エイドリアンさんは如何お考えになりますか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/02 (Fri) 19:30:14

>私は、愛されて生き、感謝することを知り、人を愛することを知り、恩に報いる人生を送るべきだと考えます。

>生きる価値がないと思っている人が生きがいを見つけられ、愛される資格がないと思っている人が愛に満たされ、人から裏切られ人を信じられない人が人を信頼することができるようになるならば神でも医学でも科学でも何でも良いという思いがあります。

生きがいを見つけ、愛し、愛され、信頼して、感謝して、恩に報いて生きる人生は素晴らしいと思います。

ENOCKさんの生きがいは何ですか?



>人間が本当に幸せになれる「神さま」のストーリーを敢えて創ってあげることが、多くの一般人にとっては必要なのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

>如何なる人にとっても無害でかつ有益な神さまのストーリーが創れないかという壮大な試みでもありますが、それこそが逆説的ではありますが、神の存在を前提としない統一原理につながっていくと思うのです。

>創り話だと思う人は創り話として理解すれば良く、本当の話だと思う人は本当の話だと思って良いのです。ただ、どちらに解釈したとしても、悪いことにはならない、そんな「ストーリー」を人間は根底において必要としているのではないでしょうか。

ENOCKさんも、統一原理のストーリーには神の登場が必要と考えているわけですね。

日本では、神が「存在する」「存在しない」「わからない」と考える人がそれぞれ約3割ずつです。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html
私は不可知論なので「わからない」になりますが、「わからない」と「存在しない」を合わせれば6割もいます。

たとえば「地球を創ったのは火星人で、火星人は地球人にこれこれを願っている」などと言われてもピンと来ませんよね。
統一原理を作り話として理解することは、それとあまり変わらないわけです。
これでは日本人の6割にとっては説得力に欠けると思うのですが、神を登場させない統一原理というのは不可能ですか?



また、ストーリーに神を登場させる場合、人間が本当に幸せになれるストーリーとはどのようなものですか?
どのようなストーリーなら、皆が生きがいを見つけ、愛し、愛され、信頼して、感謝して、恩に報いる人生を生きられるようになるのか。

ENOCKさんが考えるストーリーを概略だけでも教えてください。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK URL

2011/09/04 (Sun) 00:39:21

>ENOCKさんも、統一原理のストーリーには神の登場が必要と考えているわけですね。

ちょっと観点が違うかなと思うのですが。何かというと、統一原理に神が登場するのは神を信じる人が大勢居る世界の現状を考えればむしろ当然で、神が登場しなければ逆に、神を信じる大多数の人々にとっては根本的な問いや哲学を欠いた価値の薄いものになってしまいます。

それを標準としつつ、一方で日本では標準的なアプローチではピンと来ない人が多いということです。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9520.html
エイドリアンさんの紹介してくださった資料にもあるように、意図的に宗教を排除した共産主義国家に匹敵するようなレベルで神を信じない、あるいは知らない人の多い日本において、確かにエイドリアンさんの仰るように神の存在を前提とした価値体系や理論は理解しづらいでしょう。

だから、そのような人に対しては、目に見えない原因者である神の存在ありきではなく、結果として現に存在する人間についての考察から出発したほうが実践的で、有意義だろうと思うのです。

従って統一原理に、神についての記述が必要かといえば当然必要です。一方で、神の存在を不可知とした場合でもその内容が価値を失わないために、神が存在するか否かに関わらず人間の良心に照らして確かにそれが望ましいと感じることができる徳目を中心とした人生訓としての「統一原理」が、とりわけ日本人にとっては有用だと思うのです。その場合、神抜きにする以上、宗教よりは道徳や成功哲学に近くなるかとは思います。

そしてそれは、全く別の内容というよりは、同一の内容の表現や観点を変えた一側面と言えるのではないかと思います。

>ENOCKさんが考えるストーリーを概略だけでも教えてください。

別に私が考えるストーリーというものがあるわけではありません。既にストーリーは様々な宗教で語られています。

例えばエイドリアンさんはキリスト教の神さまとイエス様の愛のストーリーについてどのように思われますか。

キリストの愛によって、生きがいを見つけ、愛し、愛され、信頼して、感謝して、恩に報いる人生を生きようと人生観を転換させたクリスチャンは多いのではないかと思うのですが、エイドリアンさんが通われていた教会ではそのような証しは聞かれませんでしたか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/04 (Sun) 01:28:19

>キリストの愛によって、生きがいを見つけ、愛し、愛され、信頼して、感謝して、恩に報いる人生を生きようと人生観を転換させたクリスチャンは多いのではないかと思うのですが、エイドリアンさんが通われていた教会ではそのような証しは聞かれませんでしたか?

いくらでもありますよ。
だから、神を信じる人にはキリスト教で良いと思います。
しかし、神を信じない人にとってはキリスト教も統一原理もただのおとぎ話に過ぎません。



発展途上国では神を信じる人が多いですが、ヨーロッパの主要国では神を信じる人は6割ほどに過ぎず、しかも減少傾向にあります。発展途上国もいずれこうなる可能性は高いでしょう。科学が目覚ましい発展を続ける一方で、神は存在すら証明できないことが明らかになっていくからです。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/9522.html



>神を信じない、あるいは知らない人の多い日本において、確かにエイドリアンさんの仰るように神の存在を前提とした価値体系や理論は理解しづらいでしょう。

>だから、そのような人に対しては、目に見えない原因者である神の存在ありきではなく、結果として現に存在する人間についての考察から出発したほうが実践的で、有意義だろうと思うのです。

>神の存在を不可知とした場合でもその内容が価値を失わないために、神が存在するか否かに関わらず人間の良心に照らして確かにそれが望ましいと感じることができる徳目を中心とした人生訓としての「統一原理」が、とりわけ日本人にとっては有用だと思うのです。その場合、神抜きにする以上、宗教よりは道徳や成功哲学に近くなるかとは思います。


そうですよね。

人間についての考察から出発した統一原理、徳目を中心とした人生訓としての統一原理、神抜きでも成り立つ統一原理があれば、神を信じない日本人、宗教嫌いの日本人にも説得力が出ると思います。
そこにとても興味があります。
そのような統一原理はどのようなものになりますか?
概略だけでも教えてください。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK URL

2011/09/04 (Sun) 07:01:09

本当に簡単な概略はこちらでも紹介していますが、

http://enock.fc2web.com/kateirisou.htm

統一原理の核心は「真の父母」だと、私は思っています。

つまり、人は子どもを生み(生ませ)さえすれば誰もが「親」になるけれども、本来は、親になるためにはそれまでに親たるにふさわしい「愛する力」を備えていなければならず、その愛する力は年数を経れば自動的に身につくものではなく、愛され・愛する経験、時には苦悩し葛藤する経験を通して成長していくものです。親として子どもを育てていくにふさわしい一定基準の愛の器を身につけた者が本来の意味での「成人」であって、人は誰もが、「愛における成長」を明確に意識し、子どもに対してはその成長を促していくべきだと考えます。

幼い頃にしっかりと愛され、兄弟にもまれながら愛の葛藤を経験しつつ、父母の愛の中で互いに愛し合うことを学び、誰に対しても、いかなる時も愛する心を向けることができるようになったとき、それが新たな家族を形成する「夫婦」となる準備が整った状態であり、成人になったと言えるのではないでしょうか。
従って、教育も、従来の知識を中心とした教育、規律を中心とした教育から、より愛を中心とした教育、愛における成長を目的とした教育がなされることが望ましいと考えます。

なぜならば人は必ず父母から生まれるのであり、そこが生命の源であるからです。

誰もが正しく父母になることができ、他者への愛情を自然に育むことができるならば、その時はじめて、宗教を必要としない社会ができあがる可能性があるのではないでしょうか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/04 (Sun) 16:26:57

ありがとうございます。

親が親たるにふさわしい愛する力を備えていくことはとても大切だと思います。
そのような親の下で育った子供たちも愛する力を身につけていくことができるということですね。

実際、統一原理を学んだ親たちはそのような理想的な親になっていますか?
祝福家庭の2世たちはそのように理想的に成長していますか?


また、神を信じない日本人を理想的な親にするためには、どうすれば良いとお考えですか?

愛を中心とした教育とはどのようなものですか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK

2011/09/05 (Mon) 12:30:30

>親が親たるにふさわしい愛する力を備えていくことはとても大切だと思います。
そのような親の下で育った子供たちも愛する力を身につけていくことができるということですね。

 賛同頂きありがとうございます。


>実際、統一原理を学んだ親たちはそのような理想的な親になっていますか?
祝福家庭の2世たちはそのように理想的に成長していますか?

「統一原理を学んだ親」ではなく、統一原理の本質を理解した親は少なくともそうなろうと努力し自己研鑽していますし、実際にそうして立派な二世が育っている家庭もあります。(それはもちろん統一教会の専売特許ではなく、他宗教でもそのような観点で家庭、あるいは家庭における情操教育を重視されている方々は同様だと思います)

重要なのは、ただ「統一原理を学んだ」というだけではそのようにならず、現実に、そうではない信者も多いということです。私にとってはこれは非常にもったいないと感じることであり、また、「統一原理が正しく理解されていない」という主張の根拠の一つとなっている現象です。


>また、神を信じない日本人を理想的な親にするためには、どうすれば良いとお考えですか?


これは是非エイドリアンさんにも一緒に考えていただきたいところで、ご協力頂ければ嬉しいのですが、
神を信じていても理想的な親ではないこともありますし、神を信じていなくても理想的な親に近づくことはできると思います。

日本においてはまず、戦前の「イエ」主義、戦後の「個人」主義に対して、家庭主義とでもいうべき家庭の価値の再認識が必要ではないでしょうか。

そこにおいての家庭主義とは、女性のみに重荷を担わせるようなものではなく、家庭における男性の役割、女性の役割を平等に位置づけ、男女が共に協力して造り上げる家庭でなければならないと思います。

結婚する・しないはもちろん個人の自由の領域です。
けれども誰しも子を生み(生ませ)親になる可能性がある以上は、義務教育期にしっかりと道徳の授業、性教育の授業などでも正面から親の責任や家庭の役割について考える場を提供し、単に多様な「現状」を受け入れる(離婚、事実婚、同性愛など)というだけでなく、個人の幸福という次元にとどまらず、未来の子どもにとっての幸福という観点も踏まえて「どうあるのが望ましいのか」を考えさせていくべきではないかと思います。

そして、「他者のため」にすることが愛だとすれば、愛を中心とした教育というのは、つまるところ利他主義教育ということになるかと思います。

利己主義社会の中で教育現場だけが利他主義を唱えたところで社会の荒波にのまれてしまう若者を生み出すだけでしょうが、社会的に利他意識の必要性、重要性あるいは、価値性が強く認識される状況が整ってくれば、教育の効果は高まるのではないでしょうか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/05 (Mon) 14:08:25

イエスは一番大事な戒めとして「あなたの隣人を愛しなさい」と説きました。

しかし、現実にはこちらが利他に徹していても、相手に裏切られたり騙されてしまうこともあります。
イエスは「敵をも愛しなさい」「赦しなさい」「憎んではいけない」とも説きましたが、それができていない人も多いでしょう。

警察にバレなければ何をやってもいいやと考えている人もいます。

ENOCKさんなら、そのような人にどうやって利他主義を教えますか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK URL

2011/09/06 (Tue) 03:16:19

自分にとって何の喜びも利益もない、一切の見返りを求めない純粋な意味での利他主義はそもそも不可能だと、私は思っています。
(おそらくこのあたりはチェ・サンウさんとも意見が合うのではないかと思います)

普通の人は、相手が良くしてくれるからそのお返しに良くしてあげる、とか、相手が喜んでいる様子を見ると自分も嬉しくなるとか、何かしら、その行為を通して直接に、有形・無形の「報酬」が自分にもたらされるからこそ利他的行為ができます。

>しかし、現実にはこちらが利他に徹していても、相手に裏切られたり騙されてしまうこともあります。

エイドリアンさんが指摘されるように、まさにそのような局面において、なお利他を貫こうとすれば、「普通」の次元を越えた発想が必要になります。
それが宗教的次元であって、直接相手方から得られる見返りが何もなくとも、そのような行為をすることで「イエス様の愛に報いることができる」とか「神さまが喜んで下さる」といった間接的な報酬を現実の力にすることができれば、普通はできない次元の利他的行動ができるようになります。

>イエスは「敵をも愛しなさい」「赦しなさい」「憎んではいけない」とも説きましたが、それができていない人も多いでしょう。

結局のところ神さまやイエス様を「信じ」てはいても、信念や確信を伴った精神的結びつき(信頼関係のようなもの)まで築いていなければ、そのような場面で愛したり、赦したりするための力にはなりえないのではないかと思います。

だから、普通はやられたらやり返したくなる自然な感情の発露のままに、報復の連鎖が続いたりします。

カルトと称されるような宗教は、強烈な神秘体験や強固な確信を土台に、人を「普通ではない行動」へと駆り立てます。

カルトの情熱と伝統宗教の良識とを兼ね備えることは決して容易ではないでしょうが、バランスよく活用できるならば、カルト宗教と言われるような急進的な宗教のもつ「感化力」は社会の変革において有用かと私は考えています。(その意味で、カルトは肯定・否定の両側面をバランスよく研究すべきだと考えます)

洗脳された結果悪いことをするから問題になるのであって、悪いことをする人を洗脳して良いことをさせることができるなら何の問題にもなりません。

カルトの教えには、人の善意や良心をがっちりつかむ「正論」が散りばめられています。それを組織体の下から上まで貫くことができるならば決して悪くはないのだけれども、実際のところ下に行けばいくほど純粋で、上に行けばいくほど俗人というのはよくある話です。

カルトの中心には必ず「人」がいます。
人、或いは組織の指示に対して絶対的な忠誠を求めるのがカルトの共通点でもあるでしょう。人ではなく、共通の「理想」や「価値観」に構成員全体が上から下まで遍く服するような体制を築けるならば(そうなればもはやカルトと称されることもなくなるでしょうが)これほど安心感のある隣人はありません。何を重視し、どのような行動をとるのかをあらかじめ表明しているようなものですから。

話題が横道にそれてしまうかもしれませんが、「中央集権的ではないカルト」を創ることができるならば、それが理想形ではないかと思ったりするのです。


>ENOCKさんなら、そのような人にどうやって利他主義を教えますか?

結局、利他主義は単に「教える」というよりも「感化」が必要なのだと思います。情熱に触れ、感動する体験を持つ(与えてあげる)ことが必要かと。

キリスト教でいうところの聖霊体験もそれに通づるのではないでしょうか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/06 (Tue) 18:38:54

>有形・無形の「報酬」が自分にもたらされるからこそ利他的行為ができます。

>間接的な報酬を現実の力にすることができれば、普通はできない次元の利他的行動ができるようになります。

そうですね。

普通の人は「相手が良くしてくれるから」「相手が喜んでいる様子を見ると自分も嬉しくなる」などが利他の動機になりますし、宗教者は「イエス様の愛に報いることができる」「神さまが喜んで下さる」「伝道につながる」などが利他の動機になっています。



>「中央集権的ではないカルト」を創ることができるならば、それが理想形ではないかと思ったりするのです。

ここで言う「カルト」とは、社会問題を起こす団体という意味ではなく、情熱のある急進的な団体という意味ですね。
私もカルトが持つ情熱や行動力はすごいと思います。その強烈さゆえに、社会に良い影響も与えれば、悪い影響も与えてしまうわけです。

カルトの悪い部分を取り除き、良い部分だけを残した団体が作ることができたら素晴らしいと思います。

ENOCKさんは、どうすればそのような団体を作ることができると思いますか?



>人ではなく、共通の「理想」や「価値観」に構成員全体が上から下まで遍く服するような体制を築けるならば、これほど安心感のある隣人はありません。

キリスト教の場合は、イエスは既に昇天しており、聖書に記されたイエスの言葉に従っているので、安心感があります。
しかし、教祖的な牧師が現れて、自分が再臨メシアだと名乗ったり、自分を絶対化するようになれば、その教団は不安感を与えるようになります。



>結局、利他主義は単に「教える」というよりも「感化」が必要なのだと思います。情熱に触れ、感動する体験を持つ(与えてあげる)ことが必要かと。

ENOCKさんは、感動する体験を与えて感化するには、どうすれば良いと思いますか?

神を信じない日本人に対してもそれはできますか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK

2011/09/06 (Tue) 20:55:05

例えば今回の東日本大震災を機に広まった支援の輪は人々に感動を与えました。
神を信じる・信じないが問題ではなく、感謝と感動が鍵ではないかと私は感じています。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/07 (Wed) 01:20:58

感謝と感動は神を信じていなくても感じられますね。

感謝や感動によって感化すれば、神という言葉抜きでもカルトのような情熱や行動力を持った団体を作れるのでしょうか?

どうすれば、そのような感謝や感動を与えることができると思いますか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK

2011/09/07 (Wed) 10:09:50

そういえば、一時的に本論からずれますが、「神という言葉抜きでもカルトのような情熱や行動力を持った団体を作れるのでしょうか?」という問題提起については、かつてはそれが共産主義運動だったのではないかと思います。
持てる者と持たざる者の不平等をなくし、一切の差別とも搾取とも無縁の理想社会を目指した運動。
そこには一切神は出てきません。むしろ積極的に神は迷信だと排除しようとしました。宗教は、支配階級が搾取されている人々の不満から目を背けさせ社会の矛盾を温存するために利用しているにすぎないと考えたからだったのではないでしょうか。

だから、私は共産主義者、共産党の方々にも一定の共感を持ちます。理想を抱き、その実現に向かい努力しているからです。

ただ、その理想を実現するための方法論として対立と闘争を採用するか、それとも奉仕によって葛藤を越え和解と調和を目指すかという違いではないかと思うのです。

また、人間自身のもつ「利己心」をいかに克服するかということについて、とりわけ組織の上層部で大きな権限を持つようになった者がいかに己を律していくかということにおいて人間の持つ「弱さ」への配慮が少なかったのではないかというのが私が共産主義に感じるところです。革命によって搾取者を打倒し、搾取されていた者が上に立てば理想世界が実現するかといえば、上に立ったことで新たな搾取者になってしまったという現実。


本論に戻りますが、感謝の心、感動する心を育てる(あるいはいかにしたら自然に育つのかということについて考える)というのは非常に重要なテーマなのではないかと考えます。


感動する心は、心が素直であれば、美しいもの、美しい行動を見れば自然と沸き起こるものなので、素直な心を持つこと(取り戻すこと)、美しいものに多く触れる環境を与えてあげる(そのような人間関係に身をおく)ことで実現できるのではないでしょうか。


感謝の心は一番難しいと思います。
何を「ありがたい」と感じることがでるか。

人は良くも悪くも慣れる生き物です。
また、与えたことは覚えていても
受けたことは忘れてしまいやすい性質をもっています。

足るを知るに不足なし、と言いますが、
やはり、自然にというよりは、「思想」が必要になるのではないでしょうか。

無論、家庭の中で、あるいは社会の中で親や兄姉、先輩、周りの大人たちの行動や考え方から自然にそのような「発想」を受け継いでいくのが理想かと思います。

人は自分が頑張ってその結果こうなった、というのは誰しも考えられますが、たとえ自分で稼ぎ、自分で買った物で生活しているとしても、自分ひとりで生きられるものではないということ、一人無人島で生きていけるとしても、自然なくしては生きられないということ。

だから、日々生きることを望むならば、生かされている自分を認識し、そのことに感謝すべきではないでしょうか。では、誰が自分を生かしてくれているのか。目に見えない存在(神など)を受け入れている人であれば神さまでもいいでしょうし、そのような存在を信じない人であれば「自然」でもかまわないと思います。

また、自分が関わった多くの人への感謝も直接だけでなく間接的な関わりを含めると無限に膨らみます。


そこにおいては、一つ一つを個別に考えるよりも結局のところすべては根源者である神さまのはからいであるという帰結に導き、常に神さまに感謝するという習慣を身につけるように促せば、個々ばらばらに考えるよりも子どもたちにも教えやすいのは確かです。

でも、それもまた、決して神を抜きに考えられないわけでもありません。日々感謝をし、そこから力が得られるならばそれで良いのです。


ここでまた横道にそれますが、「神ぬき」に関連して。

人類みな兄弟 というのと
One Familiy under GOD というのでは
前者には神は出てきませんが、目指すところは似ているのではないかと思います。

結局のところ神さまを信じる人も信じない人もみな兄弟のような関係になれるならばそれが理想であって、信じるものや考え方が違うからといって批判しあうのは神を信じる者にとっても信じない者にとっても良くないことなのだと思います。

感謝と感動についてはエイドリアンさんにも是非お知恵をお借りしたいのですが、いかがですか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/07 (Wed) 19:59:31

>人類みな兄弟 というのと
>One Familiy under GOD というのでは
>前者には神は出てきませんが、目指すところは似ているのではないかと思います。

よく似ていますね。
「世界は一家、人類は皆兄弟」というのは、「一日一善!」のCMでお馴染の笹川良一氏のスローガンです。
http://youtu.be/f6b5-oOBoSQ
ちなみに、日本に統一教会を布教するために密入国して逮捕された西川勝氏の身元引受人となったのも笹川氏ですし、統一協会顧問、国際勝共連合の初代名誉会長となり、統一教会と自民党とをつなげた人物でもあります。
http://www.chojin.com/person/jp.htm
その後、笹川氏は文氏の金銭への汚さに辟易して袂を別ち、西川氏も霊感商法などに反対して1985年に統一教会を離れたと言われています。



>信じるものや考え方が違うからといって批判しあうのは神を信じる者にとっても信じない者にとっても良くないことなのだと思います。

私は信じるものや考え方が違うから統一教会を批判しているのではありません。霊感商法を批判しているだけです。
兄弟が悪いことをしていたら諌めるものです。



>「神という言葉抜きでもカルトのような情熱や行動力を持った団体を作れるのでしょうか?」という問題提起については、かつてはそれが共産主義運動だったのではないかと思います。

そうですね。共産主義運動もものすごい情熱と行動力でした。それこそ主権国家をいくつも作ったのですから。
神という言葉抜きでも、カルトのような情熱と行動力を持つ団体は作れるということですね。彼らは一体どのようにしてそれを実現してきたのでしょうか?
日本でいえば、共産党や民青同盟がそれに当たるでしょうか。民青同盟はCARPの宿敵(笑)とも言われてましたが、ENOCKさんは民青について何かご存知ですか?



>ただ、その理想を実現するための方法論として対立と闘争を採用するか、それとも奉仕によって葛藤を越え和解と調和を目指すかという違いではないかと思うのです。
>また、人間自身のもつ「利己心」をいかに克服するかということについて、とりわけ組織の上層部で大きな権限を持つようになった者がいかに己を律していくかということにおいて人間の持つ「弱さ」への配慮が少なかったのではないかというのが私が共産主義に感じるところです。革命によって搾取者を打倒し、搾取されていた者が上に立てば理想世界が実現するかといえば、上に立ったことで新たな搾取者になってしまったという現実。

そうですね。共産主義は暴力革命や独裁制を肯定してしまったのが良くなかったと思います。
和解と調和を目指していくべきです。
ジョン・アクトンは「絶対的な権力は、絶対的に腐敗する」と言いました。
このことは政治だけでなく宗教団体についても当てはまると思います。



>感動する心は、心が素直であれば、美しいもの、美しい行動を見れば自然と沸き起こるものなので、素直な心を持つこと(取り戻すこと)、美しいものに多く触れる環境を与えてあげる(そのような人間関係に身をおく)ことで実現できるのではないでしょうか。

愛情豊かな人間関係に囲まれて過ごすことにより、愛することを身につけていくというのはありますね。


>生かされている自分を認識し、そのことに感謝すべきではないでしょうか。では、誰が自分を生かしてくれているのか。目に見えない存在(神など)を受け入れている人であれば神さまでもいいでしょうし、そのような存在を信じない人であれば「自然」でもかまわないと思います。

「自然」に感謝するというのは神を信じない人でもできるので良いと思います。


>常に神さまに感謝するという習慣を身につけるように促せば、個々ばらばらに考えるよりも子どもたちにも教えやすいのは確かです。

ENOCKさんの想定しているメインターゲットは子どもたちでしたね。私の想定しているメインターゲットは大学生くらいの青年たちです。

子どもなら神さまを教えることにより信じるでしょう。しかし、いずれ高校、大学へと進むにつれて神の存在への信仰は薄らいでいくと思います。神の存在の証拠がないことに気づきますから。そうなれば神を前提とした教えの説得力も薄れていくでしょう。


>決して神を抜きに考えられないわけでもありません。日々感謝をし、そこから力が得られるならばそれで良いのです。

神という言葉を使わなくとも、自然や周囲の人たちに感謝し、愛情豊かな人間関係に囲まれて過ごすことにより、感動する心、愛する心がはぐくまれていくというのはありそうです。


>やはり、自然にというよりは、「思想」が必要になるのではないでしょうか。

カルトのような情熱と行動力で人々に感動を与え、愛の連鎖を広げていくような団体が作れれば素晴らしいと思います。

ENOCKさんは、どんな思想があれば良いと思いますか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK URL

2011/09/07 (Wed) 22:15:25

>しかし、いずれ高校、大学へと進むにつれて神の存在への信仰は薄らいでいくと思います。神の存在の証拠がないことに気づきますから。そうなれば神を前提とした教えの説得力も薄れていくでしょう。

ここはおそらく論点の一つになると思うのですが、御伽噺的なメルヘン部分(様々な奇跡の話など)は成長とともに薄れて行っても、人生哲学としての教訓部分はむしろ大きくなるにつれて強まるのではないかと思うのです。

私も、神がいるから○○しなさいというアプローチは当然通用しないと思います。そうではなく、人としていかに生きるべきかということを突き詰めていけば、結果として「神さまが(いたとするならばその神さまが)喜ばれる」生き方になるのではないかと思います。

また、人によってはその過程の中で「自分の神さま」を発見する人も必ず現れます。それが良いのではないかと思うのです。

何かしら人生において軸があるのですから。
むしろ問題はぽっかり空洞をつくったまま成長し、とんでもないカルトにまるめこまれ、おかしなことがあってもおかしいということに気付けない、そんな人間が大量発生してしまうことではないでしょうか。(ん?統一教会にもごろごろいるような・・)

だから、私は、突き詰めた結果「神さまを無視する」という選択を敢えてするのは構わないが、まずは誰もが神さまについて教えられ、神さまは当然居るものという前提から出発してその上で大きくなってから「ん?もしかして居ないのか?」と悩む方が健全ではないかと思うのです。


どうなのでしょう。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/08 (Thu) 18:23:03

>御伽噺的なメルヘン部分(様々な奇跡の話など)は成長とともに薄れて行っても、人生哲学としての教訓部分はむしろ大きくなるにつれて強まるのではないかと思うのです。

人生哲学としての教訓ならば、必ずしも神を登場させなくても良いのではないでしょうか?


>人としていかに生きるべきかということを突き詰めていけば、結果として「神さまが(いたとするならばその神さまが)喜ばれる」生き方になるのではないかと思います。

神の存在が前提になっているのは多くの日本人には受け入れられませんが、そのように仮定として登場するだけなら問題ないかもしれません。


>また、人によってはその過程の中で「自分の神さま」を発見する人も必ず現れます。それが良いのではないかと思うのです。

発見する人もいれば、発見しない人もいると思います。


>(ん?統一教会にもごろごろいるような・・)

そうですね。



>突き詰めた結果「神さまを無視する」という選択を敢えてするのは構わないが、

「神さまを無視」しているのではなく「神さまをどんなに探しても見つからない」ということです。


>まずは誰もが神さまについて教えられ、神さまは当然居るものという前提から出発してその上で大きくなってから「ん?もしかして居ないのか?」と悩む方が健全ではないかと思うのです。

子供の頃に神がいると教えられていたのに、大きくなって、考えても考えても調べても調べても神の存在が見いだせないと分かった時、感じることは「なんだ。ただの空想だったのか。」ということです。
子供の時に教えられていた「神さまはこんなことをしました」「神さまはこんなことを思いました」「神様はこんなことを言いました」などというストーリーが、実は根拠のない作り話であることがいずれバレてしまうからです。
「クリスマスにサンタクロースがトナカイのそりに乗って煙突から入ってプレゼントを届けてくれる」というストーリーが実は作り話であることがいずれバレてしまうのと同じことです。

クリスチャンの子供が皆クリスチャンになるわけではありません。子供のころに神を教え込んでいても、大人になってその信仰を維持するとは限らないのです。神の存在に頼る思想は、神を信じられない大人に対してはおとぎ話になり下がってしまいます。



現実問題として、日本では「神」という言葉を出しただけで、「宗教ですか。私は結構です。」と話しすら聞こうとしない人が多いです。宗教色があることにより、その思想を学校教育に含めることも困難になります。
「神」という言葉さえ使わなければ、それだけで一気に日本人に対する普及の機会が高まるわけです。日本に3割いる無神論者からの抵抗もなくなります。



ですから、現実に人々への浸透を考えたときに、「神」という言葉を使わない統一原理、あるいは、「神」という言葉を使わない、人間を幸せにする思想というものができれば素晴らしいと思うのです。


共産主義も「神」という言葉を使わずにあれほどの情熱や行動力を生み出したのですから、何かしらできるのではないかと思います。



以前、ENOCKさんが、

「神を信じない、あるいは知らない人の多い日本において、確かにエイドリアンさんの仰るように神の存在を前提とした価値体系や理論は理解しづらいでしょう。だから、そのような人に対しては、目に見えない原因者である神の存在ありきではなく、結果として現に存在する人間についての考察から出発したほうが実践的で、有意義だろうと思うのです。」

と言っていたように、神の存在ありきではなく人間についての考察から出発した思想というのが良いと思います。


人間についての考察から出発した思想というのはどのようなものでしょうか?

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - ENOCK

2011/09/08 (Thu) 18:55:53

>宗教色があることにより、その思想を学校教育に含めることも困難になります。
「神」という言葉さえ使わなければ、それだけで一気に日本人に対する普及の機会が高まるわけです。日本に3割いる無神論者からの抵抗もなくなります。

確かにそうですね。エイドリアンさんとのやりとりの中で、何が通用し、何が通用しないのかということがはっきり仕分けられるので非常に助かっています。

私がたびたび言うところの人間についての考察から出発した思想というのは、つまるところ「家庭主義」とでもいうべきものになるかと思います。

家庭を持つか持たないかはさておき、家庭を持った際に円満な家庭を築いていくためには、異性について、愛について、性について、子育てについて、教育について、家庭について、必要な知識と思想と能力を持っていなければなりません。

そうして、生まれてくる子どもたちが等しく「愛される権利」を享受しうる社会がつくられ、既に生まれ不幸な境遇に置かれている人々に対しても拡大された兄弟愛をもって手を差し伸べられる社会を実現することを広く訴えていくことはできないでしょうか。

Re: 神の存在を前提としない統一原理について - エイドリアン

2011/09/08 (Thu) 23:41:58

>異性について、愛について、性について、子育てについて、教育について、家庭について、必要な知識と思想と能力を持っていなければなりません。

そうですね。

愛する力を備えた親になるために必要な、異性、愛、性、子育て、教育、家庭についての知識、思想、能力とはどのようなものだと思いますか?

神という言葉を使わずにそれを表現できれば、神を信じない日本人にも受け入れられやすいですし、学校教育に含めることも可能になってくると思います。

その思想を統一教会のような情熱と行動力で実践し、愛を与え、感動を与えることができれば、人々を感化していくことができるのではないでしょうか?

また、広く訴えていくということであれば、ネットをうまく使うのも良いと思います。

kate spade クラッチ kate spade クラッチ URL

2013/08/30 (Fri) 04:23:40

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